面白い人になりたいキミへ【現代版方法論】

面白い人になりたい と考える人に向けてのアドバイスまとめ

面白い人になりたい !? じゃあ、「面白い」ってなんだ!?

「 面白い人になりたい 」って願う方は多いと思います。

男女問わずモテる人の条件として常に上位にランクインしますし、「つまんない人間だね」って言われるよりははるかに言われて気分がイイです。

中学校や高校時代を思い返してみても、クラスの中心はそんな人でしたよね?

また、人気の芸人さんやYouTuberさんのように、文字通り「面白い」ことをビジネスに直結している方もいらっしゃいます。

「一緒にいて楽しい」「見ていて楽しい」と思われることは、金銭から承認まであらゆる欲求を満たし、あたしたちを何かと得させるってことです。

もしもキミがフリーランスとして生きていくつもりなら(サラリーマンでも一緒なんだけど)、人間関係がものを言う世界へと足を踏み入れることになります。

人間関係を円滑にして、周囲の人間に好感を持たれるためにも、やっぱりそれは重要な要素になってくるでしょう。

そうなりたいと願うことも、納得できます。

 

ですがあたしは思います。

「面白い」ってなんなんだ!?

以前の記事で、「なんでもかんでも面白いって評しちゃう系社会人」っていう言葉が出てきていましたが、

これ、本当にあると思います。

たとえば、儲かりそうなビジネスの話をしているときにフリーランスの方が言う

それ、面白いっすね!

これはもちろん、お笑い芸人さんのネタを見たときに評価するようなそれとは性質が明らかに異なっています。

お腹を抱えてどころか、笑ってすらないことすら多々あります……。

それ、ホントに思ってる?

こう感じざるを得ません。

おそらくこれ、意味がごっちゃになっているから生じる違和感だと思います。

いわゆる「interesting(=興味深い)」「funny(=こっけいな)」を総称して「面白い」という言葉で包含しているから、変な感じになってるわけで。

多分、中学校の英語の授業とかで似たような話を先生にされましたよね……?

 

今回話したいのは、「interesting」と「funny」についてではありません。

強いて言うなら今回のテーマは、

現代においては、「funny」の意味すら変わってきている

ってこと。

 

ここからは、

・現代人にとっての「面白い」ってどういうことなんだろう?
・面白いと思われる人になるにはどうしたらイイんだろう?

この2点について考えていきたいと思います。

 

 

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面白い人になりたい 人が目指すはお笑い芸人?YouTuber?

従来のテレビやラジオに限らず、動画配信サービスなどを利用して個人単位でコンテンツを発信できるようになった昨今。

あたしたちは(能動受動の差はあれど)自分にとって面白いと感じるものを簡単に探して見ることができるようになりました。

あたしたちが生まれる前は、テレビやラジオなどの大手メディア媒体から発せられるものしか娯楽を享受できなかった時代。

言い方を変えると、テレビやラジオが「面白い」と感じたものの中からあたしたちは自分なりの「面白い」を探すことになっていたと言えます。

一旦フィルターを通されて、ある程度の選別がかけられていたってわけです。

 

だけど今は、そんなことはありません。

テレビ離れなんて言葉は今や聞き飽きるくらい各所で言われるようになりましたし、テレビ局から率先して動画配信を行うようにもなってきました。

※テレビ離れについての関連記事は下記から!

昔よりもはるかに多く、はるかに広いジャンルであたしたちは自らの好みや興味の対象を探求できるようになったのです。

 

そう考えると、今度は受け手としてのあたしたちの方に真価が問われます。

テレビもラジオもYouTubeも、お笑い芸人もYouTuberも社会評論家も、

全員に対しておしなべて

この人、めちゃくちゃおもしろい!

って表現するのに、言葉の限界を感じるのは私だけでしょうか?

だってみんな、やってることがぜんぜん違うんだもん。

 

たとえば、私なりに上記の人達が行っていることや発信内容を言語化してみます。

○お笑い芸人……漫才やコント
○YouTuber……「○○やってみた」系の動画投稿
○社会評論家……現代社会の問題点・矛盾点の指摘と解決方法についての提言

この中に優劣や序列の関係性はまったくありませんが、それぞれのジャンルにおける「プロ」が目指す先は、大きく異なっていることがわかります。

漫才やコントは、基本的には舞台上で行うものです。

漫才ならばマイク一本、コントならば椅子や机など最小限の設備を用いることで、現実にはありえないことについてのかけあいを他者に見せます。

そうして、あくまで空想(想像)の範疇で笑いを取るといった行動を生業としている職業です。

舞台上で行うものである以上、そこに社会通念上のルールやリアリティは必ずしも持ち込まなくても良い。

「こんなコンビニがあったら嫌だなぁ」「ファミレスの店員がもしもこんな人だったら」などといった、すべてが妄想において成り立っています。

それが変であれば変であるほど、あるいは変にリアルな様に共感できれば出来るほど、彼ら彼女らは「面白い」人であると認識されます。

ゼロからイチを生み出すという意味で、

こんな設定思いつかないよー!

これが最高の褒め言葉にあたると思われます。

 

一方でYouTuber。

この職業の人達は、これをやってみたらどうなるか?といった「検証」に重きをおいた発信を行っています。

たとえば、この記事を書いていた数日前に、人気YouTuber「水溜りボンド」のおふたりがアップしていたのは、「ひと粒ずつお米を炒めて、パラパラのチャーハンを作ってみた」というもの。

ひと粒ずつお米を炒めるなんて、あたしたちは日常生活の中で行いませんよね?

それをあえて、やってみる。

思いついたことを「現実」に持ち込み実践してみる。

そしてその結果を知れることが、「面白い」。

「現実」の中から「想像」を作り出す漫才やコントとは対照的に、

「想像」の産物を「現実」に当てはめて結果を見るのがYouTuberの作業だと言えます。

よくこんなの、実際にやってみようと思うなぁ……!

これがYouTuberへの褒め言葉です。

 

最後に評論家の方々。

彼らが発信する内容には、基本的には最初から最後まで「想像」が出てきません。

テーマを現実社会の中から選び、そこに独自の着眼点を加え、

さらには信憑性のあるデータを用いることで自説をより強固なものにする。

彼ら彼女らの「面白い」部分は、その現実に対するものの見方にあると言えます。

「現実」の中から、さらに新たな「現実」を見出す。

これが評論家の仕事です。

そんな見方、これまでしたことなかった……!

これが褒め言葉になるでしょう。

 


さてこの3種類の職種の方々。

繰り返しになりますが、どれもみんな「すごい」人であるのは間違いありませんし、

評論家よりも漫才師の方が「面白い」、なんて優劣をつけられるものではないのは当然です。

「面白い」の目指す先が全然違っているんですから。

ですがときに、あたしたちの中にはそれをごっちゃにしてしまっている人がいます。

このYouTuber、そのへんの芸人よりも全然面白いわー!

こんなことを言っちゃう人たちです。

 

あたし、この発言の意味がまったくわかりません。

 

たとえとしてやや飛躍してしまうかもしれませんが、

プロのサッカー選手と野球選手とを比較して、

このサッカー選手、そのへんの野球選手よりもスポーツ上手だわ―!

って言ってる人をキミが見たとしてください。

その発言が正しいと思えますか?

サッカーと野球ではそもそもの競技が違っているのですから使う筋肉も全く違うはずです。

単なる個々のプレイや競技内での成績だけを見比べて、

どちらが「スポーツが上手」かを判断することなんて不可能です。

 

これと同じことがお笑い芸人とYouTuberにも言えます。

そもそもの競技が違っているのだから、単なる再生回数や知名度だけを見比べて、

どちらが「面白い」かを判断することなんて不可能なはずです。

仮に漫才やコントを「YouTuber」的な面白さに落とし込もうと思えば、すべての思いついた設定を現実社会に持ち込まなくてはならなくなります。

「コンビニにいる変な店員さん」というネタを披露するためにはまず舞台から降りて、最寄りのコンビニに就職し(あるいはオーナーとして起業し)、そこで自らが「思いついた変な店員」として見ず知らずの人達に接客を行わなくてはいけません。

そこまでやって、いわゆる人気コンテンツである「○○やってみた」の形式に適合します。

……これって、お笑い芸人さんのすることですかね?

あたしには、どうにも規模が大きすぎて受け入れられません……。

 

あくまで上記の

そのへんのお笑い芸人よりも〜……

の意見は個人の感想なので、そこにあたしが目くじら立てて怒る義理もなにもないのですが、

これらの差を明確にしておかないと、「面白い」に対する誤解を生むことになってしまいかねません。

あたしはそれを恐れています。

そういう誤解を持ったまま、たとえば将来ちょうどあたしたちのような若者が、

面白くなりたいから、お笑い芸人を目指します!

みたいな思い込みで自分の進む先を決めてしまうと、

結局志半ばで諦めなければならない瞬間が来てしまう可能性が高いからです。

ただでさえクラスのお調子者が、友達に言われたことを真に受けてお笑い芸人を目指して上京し、売れないまま故郷に戻る……ってケースは非常に多いのです。

その上さらに、その人の考える面白さ、その人の目指す面白さ、その人が持つポテンシャルとしての面白さが本来「YouTuber」の素質に合致しているにもかかわらず、その状況でお笑い芸人を目指したとしても、理想と実際のギャップに苦しくなるだけだからです。

 

たとえサラリーマンにしろ、どこにも属さずフリーランスとして生きるにしろ、

面白い人間を目指すのであれば、

まずはそもそもキミにとっての理想の「面白さ」がどこにあるのかを知っておく必要があるのです。

これらをごっちゃにして、闇雲に「とにかく面白い人になりたいんです!」って言ってるうちは、

おそらく面白い人にはなれないんじゃないかなって……。

 

 

現代っ子が求める「面白さ」って何だろう!?

運動ができるようになりたいと思った子どもたちが、具体的に鍛えるべきスキル(足が早くなりたい/筋肉をつけたい/ドッヂボールがうまくなりたい)を明確にした上で練習をしていかないと効果を発揮しないのとちょうど同じように、

面白い人になりたいと感じたあたしたちも、具体的に「どう面白くなりたいのか」を明確にしない限りは目標を達成できません。

そこでここからは、上記の「お笑い芸人」「YouTuber」「評論家」、これらを例にしながら、

それぞれに必要とされる「面白さ」について考えてみたいと思います。

 

お笑い芸人の場合

お笑い芸人の面白さは、想像においてすべてが発揮されます。

ものがなくてもジェスチャーで伝え、「確かにこんな風になりそう!」と見るものに納得させ、

「こんなことあるわけないじゃん!」とある種のバカバカしさを抱かせる。

これがお笑い芸人のネタの面白さだと思います。

もちろんこれは、ただの結論だけで終わってはいけません。

偶然入った喫茶店の店員さんが変な人だった

これだけの話では、面白くもなんともないでしょう。

この結論だけでなく、そこに至るまでのプロセスにこそ、お笑い芸人的な面白さが凝縮されています。

・注文したらどういう対応をされるのか
・どんな風に接客されるのか
・お会計は正しく行われるのか

などなど、そこで繰り広げられる途中経過もすべて、作り手の想像によって生み出されるものです。

空想力/妄想力

変にリアリティを持っていたり、到底常人には思いつかないぶっ飛んだものであったり、そこに正解不正解はありません。

とにかく自分の頭の中で世界を広げる

これに長けている方、あるいはこれに憧れを抱く方は、お笑い芸人向きだと言えます。

 

YouTuberの場合

YouTuberはお笑い芸人のネタとは異なり、結論に至るまでの途中経過を考える必要はありません。

実際やってみての出たとこ勝負であるのが常だからです。

その分必要とされるのは、

行動力と探究心

だと思います。

知りたい/やってみたいと思えるモチベーション

とも言えるでしょう。

キッカケはくだらないことでも些細なことでも構わないと思うんです。

とにかく普通の人間には真似できないようなことを「やってみる」

時間がかかるかもしれません。根気が必要かもしれません。

ですが裏を返すと、時間と根気さえあれば誰にだって出来ると言えてしまうのもYouTuberの特徴です。

逆に言うと、どれだけ奇抜な発想力を持っていたとしても、それを「現実」に落とし込めるだけの実現力(行動力)がないとYouTuber的な面白さを手に入れることはできません。

疑問を持ったら即実行!

これが出来る人はYouTuber向きだと言えます。

お笑い芸人によるエピソードトークの番組が昨今増えています。

このとき、トークに求められるのはどちらかと言えばYouTuber的な面白さであることは疑いありません。

自らの生い立ちを語ったり実体験をネタにするという場合、それはある種の「やってみた」系になるからです。

能動的か受動的かの違いこそあれ、本気でお笑い芸人を目指そうと志していらっしゃる方は、

・想像の世界のお話を伝える”ネタ”
・現実生活の中で実際に起こったエピソードを(多少の脚色などを加えつつも……)伝える”ネタ”

その両側面からの面白さを求められるかもしれません。

 

評論家の場合

評論家の場合、上記のお笑い芸人やYouTuberとは異なり、必ずしも人を笑わせるタイプの「面白い」である必要はありません。

上述の英単語の話でいうと、「interesting」に寄せた発想や物事の捉え方が出来る人。

これが、評論家的な面白さを持つ人です。

世間が正しいと言っていることに、あえて疑問を持ってみる。

一般的に批判の対象となっているものを、あえて擁護してみる。

このとき、単なる感情論(=好き嫌い)だけで主張しても、周りの人は聞く耳をもってはくれませんし「面白い人だなぁ」ともみなしてくれません。

自分が「間違っている!」と言うからには、その根拠となるもっともなデータや論理的整合性をもって自説を展開して、初めて「面白い」人だと思われることができます。

お腹を抱えて笑わせるようなトピックスは求められていませんので、「こうなったらイイのにな」的な想像も評論家にとっては必然的に不要となります。

現実社会にはびこる問題点に、独自の着眼点を持つ

こういうことが出来る人や、楽しいと感じる人こそ、評論家タイプの「面白い」人になれることでしょう。

みんながYesと言うから、自分はNoと答えてみようかな

みたいなあまのじゃくも、この手の面白さには向いています。

ただし、そこに人を納得させられるような理由をつけるのを忘れずに!

自分の考えが正しいと納得させるだけの根拠収集や論理的結びつけ

むしろこちらの方が重要であるでしょう。

 

さてこれら3つのうち、現実的に最も「面白い」と思ってもらえる可能性が高いスキルはなにか、と言われるとやはり、

YouTuber的な面白さ

これに尽きると思います。

単に「YouTuber」という職業が流行しているからだけというわけではありません。

この背景には、現代が「ネット社会」であるという事実を挙げることが出来ます。

今や、日本人の92.4%が知りたいことやわからないことをすぐにネットで調べるそうです。

インターネットに接続できない携帯電話を持っていない人は現代ではかなりの少数派でしょうし、たいていうの疑問を解消できる「答え」が、ネットには大量に転がっています。

ですがこの、なんでもすぐに調べれば「答え」が手に入ってしまう。

これによって現代の人々は、想像や空想を「面白い」と思わなくなってしまったのではないでしょうか。

あるいは、「想像」や「空想」がそもそも減っているのかもしれません。

たとえば、お笑い芸人が「アフリカの奥地の村の原住民と一緒に住むコント」を今披露したとしても、おそらく、あたしたちはさほど面白いと思えないと思います。

それはなぜなら、今やすべての人がアフリカ原住民に対する情報をネットを通じてある程度は知っていまして、コント上で繰り広げられる「嘘の話」をネットで見た「正解」と照らし合わせて、無意識のうちに答え合わせしてしまうからです。

お笑い芸人のネタを見て、引いてしまう人が増えている。
空想上のお話を真に受けて、クレームを入れてしまう人が増えている。

こんな話が昨今話題になるのも、根本にはネットで見た知識と舞台上で見る嘘情報の「答え合わせ」が原因にあると思います。

そうなると、空想は突飛なものではなく、「ありそうでなかった」リアルで地続きのものでないと面白いと思ってもらうことが出来ません。

「空想」と「現実」の混同を起こしている一般人に向けては、「現実」っぽい「空想」じゃないと受け入れてもらえないからです。

 

同時に、ネットで手軽に知識を得られるようになったことで、

面白い=知識を得る機会を与えてくれる

こんな公式が、社会通念となってしまったように思えます。

事実、テレビのバラエティ番組を見ても、いわゆる芸人さんの「ネタ番組」や「コント番組」はあたしたちが小学生の時くらいに比べたらすっかり鳴りを潜め、

かわりに「情報番組」「知らない世界を見せる番組」のようなタイプが格段に増えました。

さらには、

知らないことを教えてくれる=面白い

これは本来「intersting」寄りの面白さだったはずなのに、「funny」との融合を果たす存在が現れた。

それが「YouTuber」であり、「やってみた系ブログ」でもあるわけです。

知ってためになるし、かつ笑える

現代人のニーズにピッタリ合致したYouTuberが人気となるのも、当然のことです。

 


面白い人になりたい

こう考える人にとって、まず改善すべきことは、

面白さというものを漠然と捉えている

これを改めることです。

爆笑を取らないと面白い人になれないの?

世の中においては、爆笑を取れる人のほうがむしろ圧倒的少数です。

話すテクニックが必要なんじゃないの?

あるに越したことはありませんが、面白さでお金を稼ごうと思っているのでない限り、表面上のテクニックの有無はさほど関係ありません。

最も必要なことは、

相手が興味を持ちそうな実体験を話す

これをまずは意識してください。

自分の知らない世界の話を聞くとき、少なくとも相手にとってすれば聞いて損はありません。

少なくとも「知識」は身につくわけですから。

 

その実体験は、キミにとってはトラウマかもしれません。

忘れたい過去の記憶かもしれません。

でもそれは、第三者からとってすれば、かけがえのない「情報」なのです!

話さないと損です!

現実の中で起こった、ちょっとした「非現実」。

誰しもが一度は経験したことがあるはずです。

まずはそれを思い出して、整理整頓してみましょう。

お笑い芸人の「ネタ」として扱う必要はありません。

それは空想ではなく、紛れもないキミにとっての現実なのですから、そもそも性質が全く違います。

そのエピソードの構成がきっちりしている必要はありません。

むしろ雑多な方が良いです。

お笑い芸人やYouTuberの話すエピソードは、ときに自主的に(能動的に)作りに行った「養殖ものの」エピソードです。

そりゃ形も整っていて、話もそれなりに面白いです。

面白くするために作りに行っているわけですから。

でも、キミの持つそのエピソードは、ひょんなことから偶然(受動的に)手に入れた「天然ものの」エピソードです。

どれだけ世間の人々が頭をひねっても、手当たり次第いろんなことをやってみても、偶然の面白さには勝てません。

 

キミはすでに、十分面白いはず!

あとはそれを包み隠さず勇気を持って、人に話してみてください!

そして、あたしにもいつか聞かせてくださいね!!



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