人に嫌われるのが怖いあなたへ

嫌われることを怖いと感じる方に、少しでも役に立てばと思って書きました。

嫌われる のが 怖い ? 気持ちはわかりますが大丈夫ですよ

4月に入り、環境がガラッと変わる季節になりました。10代の方の中には大学生に、20代の方の中には新社会人に、それぞれ新たな世界に飛び込む機会が最も多いでしょう。それは同時に、「新たに会う人に 嫌われる とどうしよう……。怖い なぁ、不安だなぁ」って悩む可能性も秘めています。

「嫌われるのが怖い」

こんな考え方は、世間的にはダメな思考回路として扱われています。

人生の半分を損してるとか言われたり、克服を促してみたり、とにかく揃いも揃ってその論調は、

嫌われるのは怖くないですよ! さぁ、その豆腐メンタルを克服・改善だ!

的なものばかりです。

……個人的な感想なんですけど、こういう記事を書いている方ってそもそも、自分が嫌われるなんて微塵も思ったことがない自信家か、そもそも周囲の評価などさほど気にしていないマイペース人間か、どちらかなのではないでしょうか。

彼ら(彼女ら)の描く克服ストーリーに私はどうしても共感できなくて、むしろ理屈で懇切丁寧に説明していただける分、頭でわかっていても実行に移せない自分に対する自己嫌悪が増すばかりで……。

 

私が悪いってことはわかっています。少数派だということも。

提示してくださった方法に身を委ねることが出来たら、案外スッキリ変われるかもしれないってことも。

 

だけど、無理なんです。

そして、

嫌われるのが怖いって考えじゃ、ダメだっていうのは知ってるよ!
でも変われないんだよ!

なんて方は、私以外にもいると思うんです。

 

上記のような、人に嫌われたくない心理を客観的に捉えた上でその改善を促すのって、あれに似ています。

登校拒否の子の家にクラス全員でわざわざ出向いて、

「早く来いよ! みんな待ってるから!」

って呼びかける感じ。

もしくは、何度言われても出来ない子に対して先生が、

「どうしてこんなこともできないの!?」

ってなじる感じ。

 

私達に対して理解を示そうとする姿勢が、かえって私達を苦しめてるんです。

正論をぶつけられたって、出来ないものはできないんです……。

嫌われるのは怖いんです。

 

でもこの気持ちはきっと、普通に生きている多数の人にはわかりません。

登校拒否を迎えに行ってる私達って、やっさしーい!
こんなに手を差し伸べてやってるのに登校拒否をやめないなんて、あいつはダメなやつだな

なんて考える、世のマジョリティには、わかりっこありません。

わかってたまるかとさえ思います。

 

この記事は、「嫌われるのが怖い」というメンタルの改善方法についてまとめたものではありません。

純粋な方法論は私なんかよりも、もっと上手にまとめたものが世の中にはいくつもあります。

今回書く話は、私の実体験、私自身の思考回路についてです。

それを書くことで、誰かを変えようとは思いません。

ですが、「誰か」の役に立つことくらいは出来るんじゃないかなとは思いました。

嫌われるのを怖がる自分のことが誰より嫌いな「誰か」の、
嫌われるのを怖がる身近な人をどうしても理解できない「誰か」の、
嫌われるのを怖がる一般的理論があまりに自分に当てはまらなくて、ひとりぼっちで生きていくしかないのかと諦めかけている誰かの、

役に立ったらいいなと思います。

つたない文章ですが、最後までお付き合いくださればありがたいです。

 

 

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嫌われる のが 怖い のは、「わからない」から

私は、相手の気持ちを読むのがすごく苦手で、言われないとわからないことが多いです。

わからないから自分で考えようとするのですが、はっきり言われないとその対応をいつも間違えてしまいます。

たとえば先日、グループLINEでこんな感じのことになりました。

メンバー
今、新宿にいますー
(なにか返事しなくっちゃ……)
私は池袋ですー

===以下、私への返事はなし===

どうやら上記の「新宿にいます」っていう投稿には、「誰か今新宿にいる人は、合流してお茶したりしませんかー?」という意味だったらしいのですが、

私には単なる「今いる場所の報告(雑談)」にしか見えなかったのです……。

友人はその都度私に個別で、「さっきの『新宿にいます』っていうのは、……って意味なんだよー」って教えてくれるのですが、どれだけ聞いても私は、

だったらどうして、「お茶しましょー!」とかまで書いてくれないんだろう……?

っていう疑問がなくならないのです。

こういう勘違いくらいなら、もしかしたら誰にだってあるかもしれません。

ひと晩寝て、次の日には周囲の人は忘れてしまうことなのかもしれません。

だけど私は、同じようなことを何度も繰り返してしまいます。そしてその都度、自己嫌悪になります。

 

人間関係とは、トライアンドエラーを繰り返しながら一般的な「こんな場合はこうするもの」っていう最適解を見つけ出し、それを深く考える必要がなくなるくらい自動化した上でコミュニケーションを円滑に運べるようにした結果築きあげていくものだと思います。

たとえば普通の女性が友達とケンカ別れをしたら、その次に友達と付き合う際には、「ケンカした友達はこういう考えをしていたみたいだから、反省して次はこう接してみよう」って決めて臨むものじゃないですか?

で、そこが上手くいったら、さらに次に付き合う友達にも同じことをする。

私には、それが出来ません。

毎回毎回、ひとりひとりに対してその瞬間に、

これってどういう意味だろう……? どうすればいいんだろう?

と悩みます。

前回がどうこうとか、他の人はこうだったとか、そういうことは関係ありません。

反応の蓄積(サンプル)をリセットして、都度オリジナルとして扱ってしまうんです。

 

その結果、向き合う相手に対して取りうる選択肢が何十にまで広がります。

上手くコミュニケーションを取れない分、せめて可能性だけでも頭に入れておこう……

と考えてしまうからです。

嫌われるのが怖いというよりは、

そんなこと想像もしていなかった!ってなるのが怖いんです。

予期せぬことが起こった場合、みんなはわかるのに自分にだけわからないことで自己嫌悪になってしまいます。

これ以上自己嫌悪になりたくありません。ぬか喜びしたくもありません。

よって、自然とネガティブにネガティブに物事を捉えてしまいます。

 

私から見える世界には、「友達=このような関係」「恋人=このような関係」みたいな言語定義しかありません。

「なんとなく」友達、のような「なんとなく」に恐怖を感じます。

私だけが相手を友達だと思っていたらどうしよう……って考えてしまうからです。

そのため、

私達って友達だよね?

って口頭確認をしないと、相手を友達とみなすことができません。

さらに言えば、私から見える世界は基本悪意に満ち溢れていると考えるようにしています。

ごくごくたまに私から誰かを誘ってどこかに行くとき、相手の返答の中で

「いいよー(本当は興味なんてないけど)」

「いいよー(ちょうど私も行きたかったから!)」

の区別がつかないのです。

だから私は、相手から発せられるすべての「いいよー」を、前者(興味ないけど付き合いで)の意味だと捉えてしまいます。

その結果、私は基本自分から誰かを誘うことが出来なくなってしまいました。

そもそも自分発の行動をとらなければ、悩むこともないからです。

 

今度は逆に、私が誰かに誘われたとします。

そのとき頭をよぎるのは、

一人では行けない事情があるのかな……?

です。

映画だと2人で並んで行ったほうが隣の席を気にするリスクが減りますし、喫茶店だと2つ気になっているメニューがある場合に2人で行ってシェアすれば両方食べられます。

「なんとなく」人を誘うってことが理解できないですし、私自身にもそんなこと出来ないのです。

 

「人に嫌われるのが怖い」と私は書きましたが、厳密には嫌われるのが怖いわけではありません。

「わからない」のが怖い

相手がどんな感情なのかが「わからない」
どういう意図で話しているのかが「わからない」
友達とみなしていいのかが「わからない」
努力をすれば解決できるものなのかが「わからない」
そもそも、努力の仕方が「わからない」

そんな心理状態かつ広大な選択肢の中から、私はいつも「現状維持」を選んでしまいます。

現状で安定している人との関係性が乱れるのが怖い

私から踏み込んだら、相手が嫌な気持ちになってしまうかもしれない。
相手から踏み込んできたら、さらに私の嫌な部分を見せてしまうことになるかもしれない。

 

実は私自身、これまで人に嫌われたことを理由に実害を被ったことはありません。

いじめられたりハブられたりということは、少なくとも自覚はしていません。

また、好かれることが良いことだ(もしくは、嫌われるのは悪いことだ)という教育を受けた記憶もありません。

仮に嫌われたとして、そのことで「私という人格が否定された……」とも思いません。

ただ思うのは、「また私は選択肢を間違えてしまったんだな……」という、自分に対するふがいなさ。

そこに他者の言動は入ってきません。

いわゆる「嫌われることを怖いと感じる人の心理」はたいてい上記の

・過去にトラウマがある
・他人から人格を否定されたと感じる
・しつけや教育を受けてきた

の中のいずれかが原因とされているようですが、

私はどれにも当てはまっていません。

ただただ、対人関係についてわからない自分のことが怖いのです。

 

 

こうすれば「好かれる」はわからないけど……

こんな社会に上手く適合できない私ですが、唯一わかることがあります。

それは、

こういう態度をすれば嫌われる

ということです。

・初対面の人に素っ気なくしたら嫌われる
・自分のことを話さなければ嫌われる
・リアクションが薄いと嫌われる

などなど。

もちろん、社会倫理に反することをするつもりはないですし、する勇気もないのでそこまで極端なこともできないので、露骨に嫌われに走るというよりはフェードアウトを狙うイメージです。

人見知りというのもあるかもしれませんが、相手との距離感が「わからない」以上は、

せめて「嫌われる」理由がわかっている方が気が楽

って感じてしまうんです。

こちらの記事の後半に書かれていることに思考が近いです。

 

長い付き合いの方は、私のことをわかってくださっているみたいです。

それでもときどき悲しかったり絶望したりすることもあるようなので……。

 

もちろん、注意されたら直します。

だけど、応用がきかないというかなんというか……。

その場の状況(TPO)に応じて、対応を使い分けるというのが私は著しく苦手なのです。

たとえば初対面の方と会話のやり取りをするとき、

相手
本を読むのが好きなんですね
はい

としか私には答えることが出来ません。

どういう会話を続けるのが正解なのか、わからないからです。

仮に私が好きな本を答えたとしても、相手が本に興味を持って話しているのかどうかわからない以上は、自分から会話を広げることが出来ません。

 

相手
本を読むのが好きなんですね。どんな本ですか?

これでも正直、返答するのが怖いです。

本が「小説」なのか「漫画」なのか「雑誌」なのかわからないからです。

漫画好きの方に小説を答えてしまったら、相手の意図に反することになってしまいます。

そして相手の意図に反してしまった場合、その落ち度が「相手の言葉足らず」にあったのか「私の理解力不足」にあったのかがわからないので、よりネガティブな方、つまりは「私の理解力不足」の方を念頭に置いた上で汲み取れなかった自分に自己嫌悪を感じます。

相手
本を読むのが好きなんですね。僕も小説を読むのが好きなんです。どんな本がお好きですか?

まで言っていただけて、はじめて私は自分のことを話すことが出来ます。

そしてこれを俯瞰で見ていた第三者に、

そんな答えひとつで、相手に嫌われることなんかないって!

という励ましを受けます。

私がうまくコミュニケーションを取れない原因が、いつのまにか「私の答えによって相手に嫌われることを恐れているから」というものにすり替えられてしまいます。

違うのになぁ……と思いながら、私はいつもそれを黙って見ています。

 

自分から嫌われにいくこと自体には、私は自己嫌悪を感じてはいません。

むしろ良い面もたくさんあります。

まず、人間関係のストレスがなくなりました。

こちらが最小限の回答しかしていないと、バランスを取ってか、相手から懇切丁寧に説明してくださる機会が増えました。

そして私が相手にどう思われようと、

私から意図してやっていることだし、仕方ないか

と腑に落ちることが増えました。ま、別にイイかーって。

次に、危機管理能力がものすごく発達しました。

常に最悪を考えて行動しているため、いざ本当に「最悪の」状況になった場合の対応がとても円滑です。

褒められることも増えました。皮肉な気もしますが……。

組織で働こうと思ったら難しいのかもしれませんが、少なくともひとりで(小規模で)生きていく分にはさほど問題はありません。

対人関係での失敗を根に持つこともなくなりました。

落ち度が常に私にあることで一貫しているのですから、相手を責めたり、「どうしてわかってくれないの!?」みたいな気持ちになることも今やゼロです。

 

みなさんの中には、「嫌われることを恐れているうちは、人間として劣っている」「幸せにはなれない」と思われている方が多いと思います。

ですが、それは間違っています。

それはあくまで「嫌われるのを怖がる=悪」という主義主張を持つ意見者の持論の押しつけであって、必ずしも万人に当てはまるものではありません。

たとえば、登校拒否を悪とみなす風潮が社会にはありますが、私はそうは思いません。

行きたくない学校に行かない選択肢を選ぶなんて、勇気があるなぁ……

って、私は尊敬します。

嫌な気持ちになりながら学校に通っていた身としては、羨ましい限りなので。

「嫌われるのを怖がる」「進んで嫌われにいく」も同じく、世間的には理解されない”弱み”です。

ですがそれは、”強み”と表裏一体。

たとえば、「嫌われるのを怖がらない」人よりも「嫌われるのを怖がる」人の方が調整作業が得意であるなど、周りが出来ないことが自分には出来る、みたいなことも多くなるのではないでしょうか。

だから私は個人的には、

嫌われるのを怖がってなにが悪い!
人の気持ちがわからなくてなにが悪い!
私達にしか出来ないことだってあるんです!

って、むしろ堂々としていて良いと思うんです。

確かに自己嫌悪はつらいですけど……、まずは自己を肯定することから始められたらと思います。

結局のところ、自分に自信がないことが根本原因だったりするので。

今の私は、コミュニケーションが最小限である自分を肯定しています。

だから、気が楽なんだとおもいます。

 

 

嫌われる のが 怖い あなたへ

ここまで書いてきましたが、私は、人に好かれることを諦めたわけではありません。

自発的に人間関係のフェードアウトを促しているとはいえ、いざ嫌われたときに全くダメージがないかと言われたら、それも嘘になります。

今は「わからないこと」がいつか「わかる」ように、今でもあれこれは考えています。

私が「わからない」と感じることに「これはこういう意味だよー」って個別具体的にあれこれ教えてくれる友人には、私は笑顔で、

ありがとう! これでもう大丈夫!

と答えるようにしています。

彼女はとてもいい人で、私が変わることを期待していると思うから。

どれだけ嫌気が差したって、私と向き合ってくれるから。

「私達は友達だよ」って、ちゃんと言葉にしてくれたから。

 

私はどちらかと言えば、「嫌われるのが怖い」と感じる人寄りの気持ちでいます。

でも突き詰めたら、そんな人達と完全に同じというわけではありません。

わかろうとはしたいのですが、やっぱりわからない部分だってあると思います。

結局のところ、みんな他人なんですから。

私の友人もどちらかというと、「嫌われるのが怖いっていうのはよくないよ! 改善しなきゃ!」っていうタイプの女性です。

だからこそ私は、「あっち側の」人の気持ちだって、無駄にしちゃいけないなって感じています。

同じ「わからない」に至る道でも、「わかろうとしない」と「わかりたい」では見える風景は違うと思うから。

 


私はこの記事を、中学校1年生の頃の私に向けて書きました。

彼女も同じく、人の気持ちがわかりません。

好きと嫌いの定義もあやふやで、人間関係すべてがまっ暗闇です。

理由なく人に嫌われてるんじゃないかと思い悩み、そして怖がっています。

きっと

なんで私だけこんなにつらい思いしてるのー!!

って泣き叫んでいます。

 

だけど、大丈夫なんです。
人に嫌われるのが怖くたって、大丈夫なんです。

 

あと数年後には、「友人」にだって出会えます。

急に話しかけてきて、いきなりお説教をしてきて、そのままなりゆきで2人でお茶に行って、

考え方を隅々まで聞いてきて、真剣な顔をしていたと思ったら突然大爆笑されて、

そのままでイイじゃん! そこまで徹底しているって、あたしの周りにはいないから貴重かも!

って総括をしてくる女性。

その子は間違いなく、あなたの友人になる女性です。

ひとりで閉じこもっていたとしても、その殻を割って手を伸ばしてきてくれる人は必ずいます。

だから心配しないで。

そしてできれば、「嫌われるのが嫌だから自分から嫌いになる」なんて回りくどい方法を取る前に、もう少し早く自分を肯定してあげて。

 

人に嫌われるのは怖くない

こう言うと安っぽくなってしまうので、私はこう言います。

人に嫌われるのって難しい

あなた自身が嫌いな「あなた」のままでいたって、結局誰かには好かれてしまいます。

好かれてしまったら、あとは強情なあなたと強情な誰かとの根比べです。

負けたときは、素直に負けを認めてください。

めちゃくちゃ怖いですが、涙が出ますが、身体も震えますが、

それが出きったあと、そうしたらあなたも、心が楽になりますから。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

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