先入観にとらわれる のが好きな日本人

先入観にとらわれる 日本人の習性について考察しました。

先入観にとらわれる 方が楽だから、日本は決めつけに溢れてる

40歳〜64歳という中高年の引きこもりが全国に61万人いるというニュースを見ました。これを見たときにまずあたしが思ったことは、「あぁ、またあたしたちが 先入観にとらわれる ように促す記事ね……」というものでした。

記事の中では、

従来ひきこもりは青少年・若年期の問題と考えられてきたが、その長期化・高年齢化が課題となる状況が浮き彫りとなった。(一部抜粋して引用)

とか書いていましたが、この「ひきこもり=若者の問題」みたいな前提口調がもう先入観を促している言い回しだし、そもそも「ひきこもりが多い」みたいな風潮も、

ひきこもりはダメな人
→それが増えている現代はダメな社会
→イマドキの人は……

みたいな論調を導いてしまう気がしてなりません。

人口推計から計算したところ、現在の40〜64歳の人口総計はおよそ4,200万人。

61万人なんて、だいたい1.5%くらいです。

……そんなに多い?

以前にも書きましたが、現代に限らずどの時代にだって、一定数はうまく社会に順応できない人がいます。

外に出て一生懸命に働いて他人とのコミュニケーションをとるのが良いこととされる現代において、1.5%くらいそれが上手くできない人がいたって当然のことじゃない?

統計に反映されていない人も合わせて実際は人数が倍いると仮定しても、それでも全体の3%。

少ないとさえ思えてしまいます。

そんなごく一部の人たちを指して、しかも「ひきこもりは問題だ」みたいな言い方をして、

今の中年はダメな人が多いなぁ……

みたいな感想につなげるのが、日本人はどうも好きみたい。

そこで今回は

あたしたち日本人が、どれほど先入観にとらわれる可能性が高いか

について書きたいと思います。

 

 

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先入観を意図的に狙っちゃう時代だから

大手のニュースサイトやあたしたちみたいにネットで発信する個人を含め、今は誰でも自分の意見を簡単に発信できる時代だし、誰でも簡単に他人の意見を知ることができる時代です。

そうすると少なからず、読者にとって共感できるような記事に出会うこともあるでしょう。

あたしたちが運営しているこのブログも、そんな記事のひとつになっていればいいのですけど……。

で、そんな発信内容を考えてみたとき、書き手としては読み手の共感を生むには少なからず「特定の集団」にレッテルを貼る必要が出てきます。

なぜなら、ピンポイントで思ったことや持論を個別具体に書いていても、それはあくまで書き手個人の経験であって1億数千万人の中のたったひとりの感想にすぎないからです。

それはいわゆる「日記」であり、見ず知らずの方に読んでもらう類のものではないと思うんです。

タレントのような自分に対する「憧れ」を押し出した記事はまた別ですが、あたしが今朝食べたものや最近ハマっていることなんかをただ羅列したってしょうがないもんね

あくまで自分の経験は、発信する内容の「キッカケ(導入)」にとどめておくべきで、本当に伝えたい内容は別にある。

先入観を生むというのは、そんな「本当に伝えたいこと」をすんなり読者に受け入れてもらうためにある程度必要なことだとあたしは考えています。

 

先入観を持たせるためには、何かしらのキーワードを使うのが最も手っ取り早いです。

たとえば「老害」なんて言葉を見たら

うわ、老人って最低だな……

という、まさに害悪だと捉えさせるのが容易になるでしょうし、フェミニズム女性の投稿したTwitterなんかを取り上げて、

これだから女は……

みたいな感じの意見強めなまとめサイトなんかもしばしば目にします。

もちろん多数の人は本心からそう思っているわけではないと思いますが、一応書いておきますね。

マジじゃないよね、その感想?

先ほどのひきこもりと同じで、人に文字通りの害悪を与える老人は全体の何%いるのでしょうか。

心の底から男性を憎んでいる女性もそりゃゼロではないんでしょうけど、日本人口の半数以上を占める女性全員が、男性の言動一つ一つに本気でケチをつけているとしたら、この国は今頃破綻してますって。

 

「老害上司」の特徴をまとめたサイトを見たのですが、そこで挙げられていたのは

・自分の意見がすべて正しいと思っている
・自分のミスを認めず、謝らない
・すぐに感情的になる
・物忘れが多い
・飲み会への参加を強要してくる

などなど……。

老人に限らず、誰にだってあるでしょこんなの。

自分の意見がすべて正しいなんてむしろあたしたちみたいな若い人に多いような気もするし(まぁこれも先入観なんだけど)、謝れないのは性格によるものだから年齢は関係ない。

怒ったり泣いたり感情的になるなんて誰しもが経験していることでしょうし、むしろこれを読んで「やっぱり老害は最悪!」って気分になっちゃう若者のほうがすぐに感情的になってる気がします。

これって結局、別に老人に限った話ではないです。

強いて言うなら、「嫌な上司」の特徴

だけどそれじゃあ抽象的だから、いまいち見出しにパンチが効いていない。

上司は当然年功序列の結果として年上が多いから、「害悪を与えてくる老人」と言われたほうが若い人にとってはしっくりくる。

その結果の、「老害」。

おおよそこんな感じでしょう。

高校卒業と同時に入社した先輩と大学院まで進学した結果入社した後輩が同じ会社に就職した場合、上司と2つ3つしか年齢が変わらないなんてこともザラにあります。

だけどそんな人達は単なる「嫌な上司」なのであって、えてして「老害」とは呼ばれない。

今回は上司を例に出したけど、日常生活の中でも「それ、”老”害限定?」って思うことは多々あります。

たとえば新幹線の指定席に自分が座っていたとして、おじいさんがやってきたとします。そして、「私に席を譲りなさい!」なんて恫喝まがいの主張をしてきたとしましょう。

きちんと座席券を購入した結果正当な権利を持って座席に座っているあたしたちからしたら、

は? なんで座席を譲ることを強要されなきゃいけないの?

って思うのが普通なはずです。

電車の優先座席ならまだしも、新幹線は追加料金まで払って手に入れた座席なんですから。

このエピソードは実際に朝日新聞の社説に掲載されたものだったのですが、

これだから「老害」は……

なんて意見が多数です。

でもこれ、普通に老人以外が相手だったとしても「は?」ってなるでしょ。

寄稿者が当時63歳の男性だったから「老害」って言葉が真っ先に思い浮かんでいるだけで、これがもし座っているのが60代のお年寄りで、席を譲って欲しいと言ってきたのが10代の学生だった場合、

これだから「平成生まれ」は……

とかなんとかの意見で溢れたはずです。

やっていることはどちらも、「ルールを守らない人に対する批判」です。

そこに年齢によるレッテルなんて貼る必要は全然ないわけで。

 

だけどみんな、特定の人々の属性をもってして、一を見て十を知ったかのように包括して悪口を言う。

同じ言動を「誰が」やるかを重視して、その都度、さもその属性に該当する人全員が「みんな同じ言動をする」かのように誤解させようとします。

その結果生まれるのが、先入観。

女は面倒くさい / 老人は頭が固い

みたいな、あれです。

まぁあたしは実際面倒くさい女なのかもしれないけどさ、それを「女だもんね」とかそういうくくりで片付けられちゃうのは、なんか納得出来ないなぁ……とか思うわけです。

 

そして先入観、持たせるターゲットはたいてい年齢と性別が狙われることが多い。

「”中年の”ひきこもり」とかさ。

仮にあたしがどれだけ

女だからっていう理由で面倒くさいと思われるのは嫌だなぁ……

って思ったところで、その先入観から逃れることはぶっちゃけ出来ないと思います。

だってあたしはこの先何年生きていっても、「女」のままなんだから。

一度生まれて世に放たれた先入観からは、もはや逃れることなんて出来ないんです。

ネット記事として半永久的に残ったらそれを目にして共感する人だって半永久的に現れるわけだし、SNSで大量拡散されたら否応にも人の頭の片隅には残っちゃうわけだし。

先入観が生み出されやすい時代だってことです。この現代は。

 

なぜ人は 先入観にとらわれる のか

先ほども書きましたが、先入観をもたらす表現や言い回しというのは、年齢やジェンダーによるものが多いです。

それは、「先入観を持たれたくないなと思っても、どうしようもないじゃん」というものばかり。

個人が努力してどうこうなる範疇を越えています。

で、そんな属性にばかりレッテルが貼られることにはふたつの理由があるとあたしは思っています。

・努力の及ばない”なにか”のせいにしたら楽だから
・特定の集団に先入観を持てば、仲間が増える気がするから

ひとつずつ詳しく述べていきます。

 

努力の及ばない”なにか”のせいにしたら楽だから

人生がすべて思い通りになる人なんて、この世にはいません。

みんな少なからず挫折して、実現不可能なことに直面して、ある程度の妥協点や折衷案を探しながら生きていると思います。

あたしだってこれまで、いろんなことを諦めてきました。

だけど、それが悪いことだとは思っていません。

ところが、どうしても諦めがつかないことがあった場合、一種の責任転嫁の手段として先入観を引き合いに出すパターンというのがあります。

自分は悪くない! 悪いのは環境だ!

という考え方です。

たとえばあたしの周りの女性で、彼氏に振られてしまったときに必ず、

これだから男って嫌い!

という人がいます。

コミュニケーションの不足か、はたまたその彼氏にとってより理想的な女性が現れたか、いずれにしてもフラれた方にも多少の改善点はあると思います。

「完全に男が悪い」というケースはほぼないでしょう。

仮に浮気されたとかそういう場合であっても、「浮気するような予兆を見極められなかった自分に一切の落ち度はなかったか」など、多少は省みる点はあるのではないでしょうか。

だけど、そういう女性はえてして自分が悪いとは思わず、

男はみんなそう!

みたいな男性すべてをひとくくりにした結論で片付けてしまいがちです。

まぁそうですよね、その方が楽だもん。

いや確かにどうしようもない男性はめちゃくちゃいると思います。

だけど、「みんな」ではないでしょ。

女性からしたら(性転換のような身体的なものは除いて)、男性になることなんて不可能です。

不可能だから、努力してどうこうなる問題ではありません。

つまりその「努力してもどうにもならない」部分を理由に問題を片付けてしまえば、ある種すんなり諦めることができちゃうわけです。

「これだから老害は〜……」とか、「ゆとりはダメだな〜……」とかそういう先入観についても同じです。

批判しているその瞬間、狙って老人になることや平成生まれになることなんて出来ないわけですから、意味のわからない状況に直面した場合にそんな「出来ないこと」を楯にして結論づけてしまえば、胸を張って「意味がわからない」「ありえない」と自分に言い聞かせることができます。

こんな楽な話はないです。

先入観さえ持ってしまえば、そこに正式な因果関係があろうがなかろうか関係なくなります。

B型って自己中心的だよねー

という先入観が広まってしまえば、ほかにどんな要因があったとしても「B型だから」で片付けることができるようになる、あれと同じです。

人間最後は楽をしたい生き物ですから、常に向上心を持って自己の反省に取り組める人なんてごく少数。

そしてそんな人にすら、どうしても越えられない壁というものは少なからず存在しちゃうんですから。

そんなときに先入観を用いるというのは、防衛本能のようなものではないでしょうか。

 

特定の集団に先入観を持てば、仲間が増える気がするから

つながり孤独」という言葉が、一時期よく取り上げられるようになりました。

これは、インターネットを通じていつでも誰かとつながることができる社会である一方で、他者への劣等感や薄く広い交友関係がかえって生み出す恐怖心。

「結局自分はひとりなんじゃなかろうか」、そんな感情が「つながり孤独」です。

これまた人間、孤独に生きることができることはできません。

一人で生きるのが難しいから縄文時代や弥生時代くらいからあたしたちは「ムラ」というものを作り、共同生活を送ってきたわけです。

孤独であると、無意識か意識的かはさておき、あたしたちは仲間を探します。

すぐに仲間が見つかればそれでイイんでしょうけど、やっぱりどうしても得意苦手の差はあるので、仲間づくりが苦手だっていう人はこのままじゃ生きていけなくなってしまいます。

そのときに考えられるキーワードがひとつ。

敵の敵は味方

です。

明確な仲間意識は持たなくとも、共通の敵がいるというだけで人はときに手を組んで団結することが出来ます。

これまた現代に限らず、戦国時代の同盟とかを考えると明白でしょう。

そこで仲間をはっきりさせるのではなく「敵」をはっきりさせることは、

同士よ集まれー!

と呼びかけているに等しい行為となります。

まさに「共感」を生み出せるということです。

共感してくれる相手は、多いほうがイイに決まっています。

仮に

○○県に住む18歳の△△さん(男性)はダメなやつだ

という意図を持って仲間を呼びかける場合、そんな特定の人をピンポイントで敵に仕立て上げたとして同士はほぼ集まりません。

その人のことを知っている人がいないわけなんですから。

ところがこれを、

○○県に住む人はダメなやつだ

とすると、共感してくれるであろう候補者の分母は格段に増えます。

だけどまだまだ仲間候補は少ない。

1/47の都道府県を基準としていては、その敵に仕立て上げた都道府県出身者に会ったことがない(あったとしてもエピソードが薄い)人がマジョリティだからです。

これをより広く、最大多数まで広げていった場合、

若者はダメなやつだ

あるいは、

男性はダメなやつだ

とすると、より多くの人の心に刺さるようになります。

若者と交流したことのない老人はいないでしょうし、男性と話したことが生まれてから一度もない女性は宗教的な制約のない日本にはいないと思います。

 

こんな風に考えると、先入観は「男性/女性」「若者/年寄り」のような二項対立構造の中に生まれやすいということがわかります。

そしてこれをもっとさらに広げていくと、

今の日本人はダメだ(外国人はダメだ)

みたいな先入観へと発展していくわけです。

その方が、周りの人は共感してくれるわけですから。

とはいえあまりここを追求しすぎてしまうと思想の話になってしまうので、自分の予期せぬところで敵を生み出しかねません。

自分から嫌いになるのはイイけれど、人に嫌われるのは耐えられないという発想です。

そもそもが孤独を埋めるために始めた敵づくりなのに、新たな敵を生めばますます孤独は深まってしまうからです。

だからあくまで自分の仲間づくりの副産物として新たな敵が出来てしまったとしても、「自分の想像できる範囲内での」敵にとどめておきたい。

そんな感覚から、人は二項対立的な先入観を持つのだと思います。

若者が老人を批判すれば、老人が敵になってしまうのは想定内でしょう。

それ以上に同じ若者を味方にしたいという気持ちが大きいわけで。

 

ということで、これらふたつに共通して言えることは、

「先入観」とは今の日本人にとって、生きるための術なのだ

ということです。

得られる情報が多く、その分考えなくちゃいけないことも増えてしまったあたしたち。

SNSの発展で、知り合いは多いけどその分交流密度が少なくなったように感じてしまうあたしたち。

これらから逃れるため、思考停止や仮想味方を作るための手段として、あたしたちは先入観をもち、先入観にとらわれに向かっているのだと思います。

 


先入観が必ずしも悪いことだとは、あたしは思いません。

思う分には個人の自由です。

それになにより、こんなことを書いているあたしにだって先入観はあると思います。

ただ同時にあたしが思うのは、

その先入観は、本当に「自分の」先入観なのか

ということです。

言い換えるならば、他人の意見を自分の意見だと錯覚して鵜呑みにしていないかなということです。

たとえば冒頭に挙げた中年の引きこもりのニュースを見て、

イマドキの中年はダメだな

なんて先入観を持つことには、あたしは大反対です。

許せる場合はただひとつ。

「中年のひきこもりが身近にいる人」に限ります。

実際に経験したことのある人が自分の過去を一種のトラウマのように錯覚して、それを不特定多数の人にも当てはめてしまうのは仕方ない面もあるとは思います。

ところが、実在するかしないかもわからないような世界を対象に先入観を持つのは、単純に情報に踊らされているだけです。

中年のひきこもりが61万人存在する

このニュースを見たときにあたしたちが抱いていい感想は、

へぇー、中年のひきこもりは61万人もいるんだー

だけだと思います。

その61万人にだけ着目して、そこからこの人達がひきこもりになってしまった原因を推察して仮説を立てるのはもちろん問題ないです。

だけどその人数を、印象や書き口だけで「多いなぁ(少ないなぁ)」と判断してしまうだけでも十分に危険だと思うんです。

メディアは古くから、率先して「仮想敵」を作り出しています。

あたしの記憶が無いくらい幼い頃には「キレる17歳」なんて言葉があって、

17歳=やべーやつ

みたいな先入観を促してきたし、

少し前には「ゆとり世代」、今では「さとり世代」、特定の人たちを総称するのがメディアは大好きです。

出処はわからないものの、老害だってそうですよね。

普段からお年寄りを「老害」扱いしている人は、自分の祖父母に対しても「老害」だと認識しているんでしょうか。

女性に偏見を持つ男性は、これから一生女性との交流を絶って生きていくつもりでしょうか。

極端な話、自分の頭で考えずに「世間の風潮に流される」というのはそういうものだとあたしは思っています。

 

まずは一度、その先入観の出典を思い出してみてください。

そして本当に、実体験からその意見を持っているのか考えてみてください。

「自分の経験に紐付いた価値観を持つ」

これが今の日本人には足りていないんじゃないかなーって、あたしはそう思います。

なんでもかんでも「なんとなくの」先入観だけで切り捨ててしまっていては、結局これから同時に怯えることになってしまいます。

いつか自分も、勝手な先入観で切り捨てられるんじゃないか

って。



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