諦める ( あきらめる )人生を送ろう!【戦争から学ぶ】

諦める ことはこんなに大事!

人生、さっさと「 諦める 」べし!

「 諦める 」瞬間というのは、誰にでも訪れます。

昔は誰にだって「将来の夢」というものがあって、

いつか絶対、なってやるんだ!

って目を輝かせながら親や友達に夢を語る。でもやがて現実を知って、

無理だな…

ってある瞬間に悟って、そして当初の夢はあきらめる。

 

あきらめたことが無い人なんていません。あきらめずに生きていく人だっていません。

・無敵のヒーローになるのをあきらめる
・特定の分野で天才になるのをあきらめる
・大企業の後を継ぎ社長になるのをあきらめる
・エリートコースをあきらめる
・大好きな人と付き合うのをあきらめる
・友達との食事会に行くのをあきらめる
・いつもより少し早起きするのをあきらめる

そして最後は、生きるのをあきらめる。(=死)

 

あたしだって、あきらめたことがあります。幼稚園の時、宇宙飛行士になる夢をあきらめました。

眼科の先生に

日常生活にはまったく支障がないですけど、視力があまり良くないので……。宇宙飛行士とかは無理ですね

って、ピンポイントで「あきらめ」させられました。

その時はショックだったけど、今となっては仕方ないと納得しています。


 

8月15日は終戦記念日。戦没者追悼のニュースなどを見て、戦争の悲惨さに思いを馳せる方も多いと思います。

たくさんの命が奪われたことを、そしてたくさんの人が苦労した末に今があるってことを、あたしたちは決して忘れちゃいけません。

 

あたしたちの世代の中にはよく、

日本はもっと早く降伏しておけばよかったのに…

って言う人がいます。

降伏とはつまり、「諦める」ということ。

先人の経験から学ぶなら、

あたしたちは取り返しのつかないことになる前に「あきらめる」ことを覚えなくちゃいけないはずです。

 

なのに、

今の日本人は、肝心な時に諦めが悪い。

というか、諦めが悪くなるように仕向けられているとも言えます。

 

今回はこの記事を通して、

あたしたちは早く「あきらめる」方がイイ!

って話をしたいと思います。

 

 

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「 諦める 」のに、「if」ではなく「今」に目を向ける

1945年の8月15日、日本は太平洋戦争に勝つことを諦め、無条件降伏が国民に発表されました。

もう少し早く諦めていたら……。

当時同盟国のイタリアが無条件降伏したのが1943年9月。ここで諦めていたらヤルタ会談前なので今も日本は戦前の状態のままだったでしょう。町並みの多くは、きっと今でも残っています。歴史的な資料が空襲で焼けてなくなることもなかったかもしれません

東京大空襲があった1945年3月に諦めていたら、沖縄は戦後すぐアメリカ支配になることもなかったかもしれないです。

同じく当時同盟国のドイツが無条件降伏したのが1945年5月。ここで諦めていたら、きっと広島に原子爆弾が落ちることはありませんでした。(どこか別の場所に使われただろうから、それは決して手放しに喜べることじゃないけど……。)

広島の原爆投下直後に諦めていたら、長崎に原爆が落ちることはなかったでしょう。ソ連は参戦のタイミングを失ったかもしれません。そうなると、北方領土問題は起こらなかったかも……。

 

ただ、これらを見て、

昔の日本人は諦めが悪い! もっと早く諦めるべきだったのに!

って、あたしは主張したいわけではありません。

そういう考えの人も、もちろんいるとは思うけど。

 

確かに降伏するまで、日本の内外でごたごたがあったから後手に回り、結果的に原爆投下という悲劇に繋がってしまったことは否めないし、悲しく思います。

だけど、終戦に向けて手を尽くしていた日本人は確実にいました。たとえば中立国(だと当時の日本が思っていた)のソ連に仲立ちしてもらっての交渉を試みていた人は、もっと早くに諦めようとしていたはずです。

そういう人たちの思いまで、なかったことにするべきではありません。歴史の年表だけを見て、受験勉強だけをしていたら知ることのできない事実ではあるのだけど。

 

今のあたしたちにできることは、

過去を教訓に、今後どう生きていくか

について考えることなんじゃないかなって、そう思います。

 

過程はどうあれ、降伏が遅れたことは事実です。だからこそあたしたちは、

先手を打って、早め早めに「諦める」ことを心がけなくちゃいけない。

それが調整やしがらみのない、自分だけで解決する問題であればあるほど。

 

 

日本人は「 諦め 」が悪い!

諦めることを「悪」とする風潮が日本にはある気がします。

新しく始めたことを、自分に合っていないと感じてすぐにやめようとすると

もう諦めるの? ありえない!

なんて周りは非難のニュアンスを含んでくるし、

長年続けてきたことが実を結ばなくても、

諦めきれないんだよ…

なんて本人が嘆き、のちに諦められないことが美談にされる

諦めるなよ!

って、漫画の主人公はいつでも仲間に訴えかけ続けます。ただの精神論なのに、人気が高いです。

 

だけど、あたしは思います。

無駄なことは無駄だからさ、早々に諦めなきゃしんどいよ?

って。

 

日本語で「諦める」というと、放棄する、断念する、ギブアップするなど、マイナスイメージで使われることが多いです。

だけど漢字の「諦」には、

ものの真実をよく見る

という意味もあります。

 

あたしがここまで言っている「あきらめる」の意味は、「明らめる」という漢字に近いです。

冒頭のお話で「あきらめる」を「諦める」と漢字表記にしていないのも、できるだけネガティブイメージの「諦める」と区別するためです。

 

真実を明らかにして、そのうえで断念する。

あたしたちが「あきらめる」には、絶対にこうしなくちゃいけません。

 

なのに、一般的な「諦め」を世間が自分でしたり他者に促したりするときは、「希望を絶やす」という意味ばかりが先行します。

思い描く成功の先にいる「誰か」と、今まさにあきらめようとしている人とを比較して、

あの人も成功出来るんだから、誰にだって出来るはず…!

みたいな幻想を抱く。だから「諦め」られない。

 

そんなわけないじゃん。全然真実が見えてないよ。

 

人間は、ひとつひとつが別個体。生まれも育ちも能力も感情も、全部違います。

たとえば、ZOZOTOWNの社長を見て、「自分も将来社長になってやる」と考えているサラリーマンがいるとします。

だけどその人は、「精いっぱい努力したけど社長になれなかった人」のことは見ていません。おそらく見ようともしていません。

自分にとって都合のイイ情報だけを選び取って、自分をだましていると言えます。

 

そしてそういう人は、仮に「ZOZOTOWNの社長になれなかった人」を見たとしても、

あの人と自分は違う! 自分はきっと成功する!

って考えに結局至ります。

やっぱり真実が見えていません。

 

変な可能性にすがりついて、だましだましやって、そのせいで「諦める」時機を逃す。

「最後の一兵まで戦うぞ!」
「本土決戦!」

とかのたまっていた、戦時中の軍人たちと何が違うのでしょう?

彼らのことを、「諦めなくて立派!」って、賞賛できるのでしょうか?

 

今の日本人の多くは、「諦められない」んじゃない。

「あきらめる」気がないんです。

 

 

あきらめられない理由

南米やアフリカで暮らす子どもたちのほとんどは、その国で会社を立ち上げ、大会社の社長になるという夢をすぐに諦めます。それが生まれや育ちで決まってることだって、すぐに気づくからです。

カースト制度の風潮が残るインドでも、身分の低い子どもは司祭者にはなることをすぐに諦めます。努力しても越えられない壁があるってことに、すぐに気づくからです。

ところが、日本人はなかなか諦めません。身体的な限界を除き、ほとんどのことが努力すれば実現できると思っているのです。

・生まれや育ちの差が見えないから。
・能力の差を見せてくれないから。

大きくわけて2つの要因が、そこにはあると思います。


<諦められない理由1:欲しい情報の「イイとこ」だけが入ってくる>

今のあたしたちには、めちゃくちゃ人生の選択肢があります。インターネットで情報収集できるのが、かなり大きいです。

だけど、その選択肢が広すぎるのが結構な問題です。

以前に、「選択のパラドクス」という言葉を取り上げた記事があったから、あとでぜひ読んでみてください。

 

要するにこれは、

選択肢が広がれば広がるほど、幸福を期待してしまう

ってことなんだけど、結果として「期待で前が見えなくなってしまった」状態にある人が、諦められない人なんだと思います。

 

たとえば、18歳で小説家を夢見る人がいたとします。

20歳までにうまくいかなかったら、ネットで「25歳までにデビューした人」の情報を探す。

25歳までにうまくいかなかったら、ネットで「30歳までにデビューした人」の情報を探す。

30歳までにうまくいかなかったら、ネットで「40歳までにデビューした人」の情報を…。

ってな具合で、

情報がなんでも探せちゃうから、自分にとって都合の良い情報を引っ張ってきて夢を見続けることが可能なのが現状です。

でもそれはあくまで「例のひとつ」なのであって、その人の才能やこれまでの人生経験まで知ることはできません。

70歳でデビューした人が仮にいたとしても、その人がたまたま稀代の天才だったのかもしれないし、定年まで出版社で敏腕編集者だったかもしれない。だけど、そんなバックボーンは、諦めたくない人の元には届きません。

 

自分と同じくらい(に見える)人が成功している

そんな「都合のイイとこ」だけを選びとって見てしまうから、諦めきれない事態に発展してしまうんだと思います。


<諦められない理由2:苦労や努力が「美談」にされる>

本来的に、苦労なんてない方がイイに決まっています。なのに成功者がメディアなどに取り上げられる際には、能力よりも「欠点」にばかり着目されがちです。

たとえばそれは「挫折」と呼ばれるし、「下積み経験」っていう言い方もされます。

これが、日本人があきらめられない大問題を引き起こしているとあたしは思います。

 

世の中には、4タイプの人間がいます。

A:苦労なく成功した
B:苦労して成功した
C:苦労なく失敗した
D:苦労して失敗した

このうち、ニュースに取り上げられるのはどのタイプの人かと考えると、

B:苦労して成功した

人だけです。

CとDの人が話題にならないのは当然だとして(そもそも知ることが出来ないんだから!)、Aの人が話題にならないのが(なんなら「Aタイプの人なんてこの世に存在しない」ように見せているのが)、今の日本のまずいところだと思うのです。

夢に向かって行動しているものの、苦労ばかりしている人がいた場合、自分がBタイプなのかDタイプなのかなんて、知ることが出来ません。

苦労はしているからBかDかってことだけはわかるんだけど、その先のことがわからない。

 

だけど考えてみてください。

世の中で圧倒的に多い順番に並べると

↑<多い>
D:苦労して失敗
C:苦労せず失敗
A:苦労せず成功
B:苦労して成功
↓<少ない>

に決まってます。

何を「成功」の定義とするかは人それぞれなんですが、成功者の中で多いのは「後継ぎ」に決まっているし、成り上がりなんてほとんどいないから、珍しがられてメディアで重宝されているわけで。

自分を客観的に考えた場合、まずは「苦労して失敗するルート」に自分が乗っているのではないかって疑うのが当然だと思います。

「頑張ればできる!」なんて思いこんだまま生きていくのはつらすぎる。

しかも、ダメだと気づいた時にはもう取り返しがつきません。

 

 

大事なのは「 あきらめ 」の後で何をするか!

ここまで書いてきて、あたしがなんでもかんでも諦めろと言っているように思える人もいるかもしれません。

でも、そうではありません。それは誤解です。

あたしが言いたいのは、

今していることはサッサと「 諦める 」ことにして、次に向かった方がイイ

ってこと!

先ほどの南米やアフリカの子どもたちは、当初の夢を諦め、すぐに大半がサッカーを始めます。

サッカーで一獲千金を狙うのが、発展途上国の子どもたちにとって生まれや育ちも関係なくて一番現実的だから!

そこでも諦めた子は、今度は母国を離れて海外での労働を試みます。

自国でいるよりは成功の可能性が広がるから!

 

こんな風に、

人生とは「 あきらめ 」と「挑戦」の連続

だって、あたしは思ってます。

今の働き方が想像と違うなって思ったら、さっさと次の仕事を探すべきです。違うってことが「明らか」になったのに、そこに何の夢を見る必要がある?

 

自分にしかできないと感じること、自分が得意だと思うこと、そういうものにひとつでも多く触れて、一番手ごたえを感じるものを見つけなきゃ生きてる意味がない。

そこに至るまでの過程が、諦めるってことだと思っています。全然悪い意味はありません。

 

そしてもうひとつは、

分相応をわきまえる

ってことだと思います。

億万長者になりたい!/有名になりたい!

みたいな欲望は、追求しすぎるとキリがありません。

本来なら成功していたのに、求めすぎたから誤って「諦める」機会が生まれてしまうかもしれません。自分の人生に絶望しすぎる必要は全然なくて、希望を持ちすぎてもいけなくて。

「あきらめる」かどうかは、あくまで自分の中での手ごたえにとどめること!

じゃないと、人と比べだしたら、また多くを求めすぎちゃうから。


 

どうせ人間は、いつか最後は諦めます。

同じようにあきらめるのなら、ただ単に「諦める」のではなく、「明らめ」た方がよくないですか?

 

戦争に関する話題が報道され、いろんな人がテレビでコメントをしているのを見ながら、あたしはあたしなりに戦没者のみなさんから、生きる道しるべと勇気をもらえたのを感じたのでした。



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